jizakiの備忘録

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VideoNews「『過去の克服』のために今、日本がすべきこと」佐藤×宮台×神保(視聴メモ)

【概要】 

戦争の終らせ方、教えます。悪いかどうかより、ダメ問題が重要(田吾作問題)。政府間の賠償と個人補償の違い。日独の戦後処理の違い。

日本人の個人的な振る舞いの癖まで反省を迫る動画。

 

【視聴動画】

マル激トーク・オン・ディマンド 第222回(2005年07月01日)

「『過去の克服』のために今、日本がすべきこと」

ゲスト:佐藤健生氏 (拓殖大学教授)ドイツ現代史、ナチの専門。ドイツの戦後補償に詳しい。『いま、歴史問題にどう取り組むか』岩波書店
 
【講和】
戦争が終わった時に、「講和条約」を結ぶ。講和というのは「単なる平和」ではなく、喧嘩の後のお約束を取り決める「手打ち」のこと。「金出したら許してやらあ。」
しかし日本は、「広い意味での講和」にはまだ完全には成功していない。戦後処理を終えていない、とも言える。
 
【解離】
「国内(靖国参拝)の意識」と「国際(反日暴動)の意識」の解離。「平和への祈り(9条を守れ)」と、「実際に戦争できないようにすること(アメリカ追従ではない、武力行使がマルチラテラルに決定される集団的自衛権)」との解離。
 
【賠償】
賠償は、交戦国との関係で、講和条約で結論が出る。「悪かったから払う」のではなく、「負けたから払う」。これは開戦責任。日本は政府間でお金を払って終わっている、という立場。
「韓国」との間で「賠償」がどうのこうの、というのは違う。韓国と日本は「交戦国」ではなく「植民地」だったから。韓国との関係は、国際法上は、一種の「身内の問題」。
サンフランシスコ講和条約で終わった、と日本はいうけれど、「部分講和」であって、一番大きな中国が外れている。アジアの場合、発展段階の差が大きくて、戦後処理の対等なテーブルに着くタイミングが合わなかった。
ドイツの場合は、東西に分かれたので講和条約がない。講和条約がないということは、賠償は無い。ただし、ドイツが占領した4つの国には賠償金を払っている。ただし、西ドイツが西側3か国に払ったのであって、ソ連には払ってない。東ドイツはソ連に払ったが、米英仏には払ってない。
統一ドイツになって、「賠償」がまだ終わっていないことが、問題となるかもしれない。バルカンの国などの、交戦国ではあったけれども4大国ではなかった国には、いまだに不満がある。賠償がまだ終わってないぞ、と。
 
【補償】
補償compensationは、被害を受けた方が、「自分は埋め合わされた。」と感じるまで終わらない。悪かったから払う。不正を正す。
 
【賠償と補償】
jizaki:この話、明解clear cutではなかった、と思う。いまいち判別しにくい話。
軍人どうして戦争をして死んだことに対しては、補償なんてものは無い。
WWⅠⅡでは前線(軍人)も銃後(民間人)もなくなった。
賠償を、第一次世界大戦「以前」の認識で考えていた。
敗戦責任=賠償、不正行為=補償
日本はWWⅡで初めて負けたから、何についてお金を払わされているのか、理解が深まっていない。
ドイツは、「戦争に負けて良かった」と言う。日本ではあまり聞かない言葉。
日本:「負けて悔しい、負けたからこそ、それをバネにここまでこれた。」
日本もドイツも、開戦して負けた。「始めたから払っている」のか(賠償)、「負けたから払っている」のか(補償)、区別しがたい。
ドイツは謝ってこなかった(言葉での謝罪をしてこなかった)。最近になってようやく、「恥」という言葉を使い始めた。それは、これまでの実績があるから。
  
【日独の戦後処理の違い】
どちらも、WWⅡはその国の「加害(開戦)」で始まり「被害(敗戦)」で終わっている。
神保:「ドイツと日本ではやったことの酷さが違う」とよく言われる。じゃあなんで、酷いことしたドイツが許されて、まだましな日本が嫌われるのは何故なのか? それがずっと分からなかった。自分なりに解釈したのは、ドイツはやったことが酷すぎて「死刑」になって成仏して、「別人格」として再出発したから許されて、日本は「懲役」で刑務所から出てきて、「前科者」として生き続けなきゃいけない、という違いなのかな、というイメージで考えてきた。宮台:あながち外れていない。
 
【ドイツの戦後処理】
ドイツの戦後は、二度目の民主主義。「体制が悪かった。」という捉えられ方。1933年からナチス政権で、1939年に戦争が始まるまでの6年間の平時の体制に、すでに過ちがある、という捉え方。ユダヤ人を抑圧してドイツ人が幸せになった。ファシズム体制は領土拡大を目的としていたはずだが、ユダヤ人抑圧に収斂していった。ドイツ軍そのものは綺麗だった、という話が残ってしまって、だからドイツは再軍備が容易だった。「始めた奴=ヒトラー」に責任を集める。ドイツの戦争責任は「開戦の責任」。
ドイツは戦争してきた歴史が古いし、何と言っても地理的要因がきつい。9か国と国境を接して、大半の国を侵略している。
 
【日本の戦後処理】
日本の戦後は、一度目の民主主義。「戦争が悪かった。」という捉えられ方。最後の、8/6原爆から8/15敗戦の過程から語っている。例えば日本国憲法は、「戦争しない」と、~しない、という書き方。ドイツは「人権守る」と、~する、という書き方。「負けた奴=戦犯」に責任を集中。日本の戦争責任は「敗戦の責任」。
日本は島国だから・・・、国内問題を内向きに見ることしかできていない。島であるにもかかわらず、沖縄と本土がこんなに違うのはなぜか。沖縄の地上戦が本土にも拡大してたら、もっと違ってた。空襲と原爆はただの災難として意識される(天災として)。大本営の攻防戦になって負けたら、本土の人間の意識も違っていただろう。本土の人間にとっては、原爆が落ちて、暫くしてマッカーサーがやって来て占領が始まった。この占領兵が中国兵だったら、また違ってただろう。「原爆は中国人民からやって来た」と再咀嚼すべきかも。
 
【日独の民主主義】
ドイツは、一度目の民主主義からナチスが出てきた。だから、二度目の戦後の民主主義で、反省が出来た。ドイツでは、一人一人の市民が自分の意見を持つ、という雰囲気。市民は与えられた情報を鵜呑みにしない。
日本は、戦後はじめて民主主義を経験しているので、反省できない。内向きに平和主義ばかり言って、それを支える肝心の民主主義ができてない。みんなが意見を言わない。上の言うことに耳をそばだててそれに従う。
企業の不祥事を巡る対応も同様。どういう仕組みで害悪が生じたのか、だれが悪いことをしたのか、ということを徹底追及せずに、記者会見で頭を下げて謝罪する。「世間をお騒がせして申し訳ありません」と土下座。
 
【冷戦体制】
日独の最大の違いは、対米関係。
日本では、冷戦の深刻化と共に、GHQは占領政策を転換。A級戦犯の追及が弱くなり、「逆コース」で復活した悪人も。更に、再軍備まで要求してくる。日本と周辺国との賠償も、アメリカが間に入る。
そんな中、日本は独力で戦後の講和体制、戦後補償をやる必要がなくなってしまった。 日本が負うべき負担が、アメリカによって免除された側面がある。
ドイツは、戦後4か国を相手にしなければならなかった。米英仏露。仏露には攻め込んでいる。このような経緯で、ドイツは日本のようにアメリカ追従とはならなかった。ドイツは戦勝国の敷いたレールに乗りながらも自分で戦後補償をやり始め、日本はアメリカに全部やってもらった。「あんなことしたから、今後国際社会で生きていけないよ、どうしよう」という、ドイツのような危機感が生じえなかった。
海部首相「僕がやったんじゃない。」
ヴァイツゼッカー「ドイツは過去の遺産を継承している。遺産を継承するなら、責任も継承するのだ。」・・・国を代表するのに値する政治行為で、大統領として当然のことをしたのだ、というドイツ人の受け止め方。
 
【過去の克服】
『過去の克服』のための三本柱
①加害者の追及(東京裁判で手打ちになっているが、歴史認識の明確化が必要)
②被害者の救済(個人補償、中国に残った化学兵器の撤去)
③再発の防止(公式声明→教科書問題w、象徴的行為→靖国問題w)
 
【個人補償】
ドイツによる個人補償が進んで、チェコやポーランドから、大戦末期にドイツ人に酷いことをしたことに対して補償を申し出てきた。
ドイツの補償金は6兆円で、年予算の5分の2に当たる。りそな銀行の不良債権が2兆円であったことを考えれば、国が傾くほどの額ではない。一人当たり30万円。
 
【原爆】
補償は個人に対するものだから、アメリカが原爆を落としたことに対して、被爆者はアメリカに個人補償を請求できる筋合いではある。空襲での民間人の被害も。もし、アメリカが日本に原爆を落としたうえで負けたら、被爆者に対する個人補償を支払うことになっていたであろう。

しかし、まずは加害者として攻め込んだ国の人民に補償を始めることが先になるのではないか。「アメリカって酷いよな」という言葉が誠実に受け取られるためには、日本がやった酷いことの責任を確定して、個人補償して再発防止策を採るべき。

 
【道徳的敏感さ】
宮台:欧米人と話していて、一番謙虚な態度なのがドイツ人。戦勝国は、結構ぞんざいな態度の人が多い。欧米のインタビューを受けた時に、一番気持ちいいのがドイツ。この「道徳的敏感さ」は戦後ドイツの「国民的財産」だ、といった歴史家がいる。日本にはない。
 
【歴史認識/責任と罪】
日本は歴史研究が進んでいないのではない。進んでいるのだが、それが一般に浸透しない。田吾作が飲み屋でくだを巻いているような本(『国民の歴史』とか)が売れる。
ドイツでは、専門家の歴史認識と一般人のそれが繋がっている。今のドイツ人には、「罪はないが責任はある」という認識。罪と責任を分けたのが良かった。戦後生まれの人間が、戦前の人間の行為を繰り返さない、という認識。ドイツは敗戦で体制が崩壊した。
日本は、8/15の前後で政府が存続している。天皇制も。日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正条項に基づいた、欽定憲法。アメリカが天皇制を残すと決めたので、1~7条が天皇関係。保守派も「国体が護持された」と喜んだ。このように、戦前との断絶がない。だから、「責任」を引き受けることが「罪」の引き受けとして意識され、まともに引き受けることが出来ないのではないか。
単に「悪かった」、と一億総懺悔すると、「罪」の引き受けになる。しかし、「社会の仕組みのどこが駄目だったのか」と反省すると「責任」の引き受けになる。A級戦犯だけを差し出して手打ちにした、という経緯もある。それに、翼賛していた朝日新聞が偉そうにしている。駄目だった、というと自分にまで「責任」が及ぶので、それを避けて「悪かった、一億総懺悔」で罪の意識でごまかした。
 
【日本の左翼】 
日本の左翼は、階級闘争から反戦平和に舵を切った。戦争を「絶対悪」と位置付けたことが、日本人が戦争を反省する契機を奪った可能性がある。「戦勝国は反省もせずデカい顔してるじゃないか」と。 
左翼も、「ダメだった」ではなく「悪かった」という罠にはまった。謝って下向いてうなだれて終わっている。その場を暫く収めるだけで、また同じ過ちをする。失敗の研究の不在。
 
【四者間関係】
日中問題は、二者間関係ではなく、四者間関係。日中の政府と国民。
第一次大戦以前は、「専制国家」が多かった。つまり、相手国政府だけを説得すれば、相手国政府がその国民をねじ伏せた。しかし第二次大戦以降、中国ですら「国民国家」になっている。日本は、中国政府だけだなく中国人民を納得させなければいけない。
「政府間で賠償して解決済み」だなんて、専制国家同士の手打ちの仕方。なに寝ぼけてんだ日本の政治家は!という話。パブリック・ディプロマシーが分かってない。
 
【損得勘定】
ドイツだって、最初は人に言われたから対応した。我々の歴史認識は外交問題に跳ね返って、周辺国の国民感情によって我々の足を引っ張ることもあれば利することもある。これが分かってる日本の政治家が少ない。天皇陛下は分かっている。
講和と賠償は、政府間の「手打ち」のレベル。補償は、個人レベル。
補償を求められたのを突っぱねて、双方の国民感情がヒートアップすると、政府間の交渉や経済交流も上手くいかなくなる。相手国の国民感情を慰撫する取り組みが必要。その方が、経済的な損得計算としても、絶対必要。日本が主体性をもって、戦争の引き起こした道義的な問題ににケリをつける、という態度を取らないので、アジアの中で損をしつづける。
アメリカのレーガン大統領は、戦時中の日系人への迫害について補償したが、これは戦時の補償をすることで、現在の日系人のリソースを合衆国に取り込む意図と効果があった。歴史的復権(リハビリテーション)。
ドイツでも、ナチスが同性愛者を迫害したことを反省することで、現在の同性愛者の復権(リハビリテーション)を打ち立てている。
 
【でも、悪くないもん!】
戦争時のアジアは独立国家ではなくて、欧米列強の植民地になっていっていて、そこに日本が遅れて入っていったら白人じゃないから排除された。大東亜共栄圏の理念は悪くなかった。負けたから悪者扱いされてるだけ、という感情。福田和也なんかは、そういうことを平気で言っている。ある意味、そうだ。
 
【しかし、】
日本は戦争に「負けた。」 もちろん、ナチスや日本が勝っていれば、こんな補償問題や靖国問題で揉める、ということは当面は起きなかっただろう。
アメリカが世界中で酷いことをしていて、相手の政府や人民に対して反省もしなければ補償もしていなくても、のうのうと国際社会で通用しているようにね。しかし、「負けた国が国際的に手助けを受けながら復興を果たす」という「講和の図式」の中で、日本が「国際的な損得勘定」をするなら、その枠組みの中で上手く振る舞わざるを得ない。そんなことも分からない田吾作、へたれ右翼、へたれ保守ばかりで、国益が損なわれている。
 
【象徴行為】 
再発防止を納得してもらうには、シンボリックな、儀式的な行為が重要。国民がそれに疑問の声を挙げずに受け止める。政治家や国王の象徴的行為が、国民の「一般意思(ルソー)」として表れなければならない。
 
【日本の謝罪/建前と本音】
歯切れ悪いが、総理大臣の声明が出ている。何度謝れば気が済むんだ、という。口で言う(リップサービス)のは「象徴的行為」として受け取られない。
これはブラントの跪き(パフォーマンス)とどう違うのか。
首相がいいことを言っても、閣僚が下手なことを言って、一歩進んで二歩下がる繰り返しをしている。首相が謝った直後に、国内で政界や財界から数々の異論が上がってくるようでは、本気として受け取られない。「建前(対外倫理)」の直後に「本音(対内倫理)」を言うから、かえって悪い。一般意思の象徴としては見られなくなってしまう。
今のドイツをナチスと同一視する人はいないが、今の日本は大日本帝国とどう違うのか?と疑問視する海外の人はいる。
日本の「土下座」に見る対外倫理と対内倫理の解離ww→http://www.nicovideo.jp/watch/sm15354185
 
【ドイツの反差別法】
ドイツでは、戦争責任に対してそのような異論が出てきたら国内法で処分している。これは、近代憲法の「言論の自由」の理念からいうと、微妙ではあるが、やっている。そこまで深刻な問題をやってしまったんだ、という認識がある。
戦争というのは、「元々あった偏見や差別、迫害」が拡大される。中韓の人間に対する潜在的な差別意識が拡大して、最後は殺してしまう、というところまで行ってしまった。そのことを、よく振り返らねばならない。それを抑える事が、現在の我々にとっては重要。
 
【身内の論理】
ハンセン氏病で国が謝罪したのは、身内だから。
戦没者の慰霊でも、自国民の数だけ数え上げている。内向き。
大東亜共栄圏が「五族協和」の解放戦争だったのなら、少なくとも五族の戦没者を慰霊しなければいけない。帝国として、異民族に対する懐の深さを示せ。しかも戦後の欧米のアジア政策について、アジア人の視点から何か言ってきたのか。言えてねえじゃん。
大東亜共栄圏は、民権派+反政府+アジア主義の枠組みから借りてこられたもの。戦後も、この発想を維持できているのか。へたれ右翼。

 

【赦し】
人生を終えようとしている被害者が、「あの国は昔とは変わったから、もういいよ」と言ってくれるかどうか。赦せる人は、直接の被害者しかいない。彼/彼女らが逝ってしまったら、取り返しがつかない。
その人たちが死ぬことで「生物学的解決」としてしまうと、それは解決にならない。死んじゃうと、直接経験がなく直接の被害者ではない子孫が、聞いた話で恨みつらみが大きくなって膨らんでエンドレスに「くれ、くれ。」となって、手が付けられなくなる。民族の記憶に埋め込まれて尾を引く。それが、中国の若い連中の反日デモで起こっていること。
 
【天皇の韓国人戦没者の慰霊】
天皇陛下がサイパンで韓国人戦没者を慰霊したのは画期的。桓武天皇の母君が百済の出身であった」という、日本人の度肝を抜くお話をされた。小泉よりよっぽど「国益」を考えておられる、とも言える。この慰霊を、保守論壇がまったく評価できていないのが、ばかばかしい。
 
【国際社会への復帰】 
ドイツはフランスとも共にEUのエンジンとして活躍していて、これはヨーロッパの周辺国の信頼を勝ち得ることが出来たからこそ。
対して日本は、中韓と上手くやれてない。 アジアの共通通貨など無理。
ペルシャ湾に派兵するまえに、大戦の落とし前を自分でつけてから。
なぜ常任理事国入りしたいの? 「経済大国だから」や「アメリカのポチとしても何か言いたい」ではなく、「被爆国で平和憲法だから、戦勝国×核保有国を抑えに」ならまだ立派。
 
【歴史認識】
宮台:明治維新からアジア主義の分岐に至る社会思想が忘却されたことの見直しをしている。戦後の政治の主体性の無さ。
 
おわり