読書メモ『ナショナリズムは悪なのか』萱野稔人
【概要】
反ナショナリズムは、現在の政治状況に対して実効性を持っていない。国家をコントロールできるのは、ナショナリズムである。ファシズムを予防するような政策を実現するために、ナショナリズムを活用すべき。
【読んだ本】
『ナショナリズムは悪なのか』萱野稔人/NHK出版新書/2011年/740円
【心情倫理と責任倫理】
ナショナリズムを否定する人は、「政治」よりも「道徳」を上に置いている。
「ナショナリズムは他者性を抑圧する」という道徳的な理由からのみナショナリズムを批判している。ナショナリズムという「悪」から身を離し、自らの立場を清廉潔白にしたがっているだけ。このような態度が、政治的にどのような効果を及ぼしているのか、を考える必要がある。「反ナショナリズム」を唱える左翼知識人は、若者の右傾化に対して有効な応答が出来ていない。
「道徳」とは、心情や動機の正しさにこだわる「心情倫理」である。
「政治」とは、たとえ自分は清廉潔白でなくなっても物事の結果に責任を持つという「責任倫理」である。
【国家が資本の舞台を制作】
近代的な資本主義国家は、封建領地を解体して全国一律の法を定め、資本が動きやすいようにした。また、身分制を解体して、言語・教育政策によって人間を同質化して労働力の流動性を高めることで、高度な産業化を成し遂げた。
こうして一国内に生まれた、均質化された人間集団がネーションである。
【ナショナリズム】
そのネーションが、その国の政治の主権者である、と言う主張がナショナリズムである。
〇 国家の暴力装置を国民が共同管理できる可能性がある。
× ナショナリズムは「国民」の福利厚生や利権を追及するので、国内外にいる自国民以外の人間に対して冷淡になりがちである(特に不況や覇権)。
【グローバリゼーション】
モノ・カネ・ヒト(商品・資本・労働)が国境を越えて流通するようになっても、国民国家より上位の暴力装置は未だに発生していないので、最終的な決定主体は主権国家だけである。
だから、国家の政策や暴力装置をコントロールしうるのは、現状ではナショナリズムだけである。(ベトナム反戦運動など)
【ファシズム】
ファシズムは、国内市場の空洞化や衰退をそのままにしたまま、「戦争経済」によって国外市場の拡大を達成し、国内市場の崩壊を埋め合わせようとする。貧窮化した民衆は、この動きを推進する(あの時のあの国ですね分かります)。
「戦争経済」は公共事業であり、需要と生産が拡大するが、戦争と共に終わる短期的な経済成長戦略である。
ファシズムを予防するには、国内経済を保全するナショナルな経済政策である。
【jizakiの考え】
世界がぺちゃんこになるのはいいことだ。
日本の賃金が下がるのは、新興国の賃金との間に平準化の圧力が働いてるからで、世界の富を分かち合うという「脱ナショナリズム」の観点からしたら、善きことである。ただし、排外主義に陥りやすいネーションのことを考えると、平準化の速度が問題だ。
賃金の下がり方と物価など必需品の下がり方が相伴うなら、資源や環境のキャパの安全圏内でスローライフによってしのげるのでは。
少し前までは、「経済成長」したいなら「移民」を数百万人規模で受け入れて共生プログラムを実施するのが処方箋だと考えていたが、経済的・精神的に貧窮化した人間にはそんな度量を期待できない、無理! と思うようになった。
国内的には、世代間や階層間の格差を是正することが重要。
高齢富裕層から若年貧困層へ所得移転する政策を。年金は積立方式に。所得税の累進性が下げられているが、前より上げるべきである。正社員の労働時間と給料を減らして、非正規労働者の身分保障と給料を上げるワークシェアを行う。
今は成長経済から成熟経済への移行期。
成長が飽和に達しているのに夢から醒めたくないものだから、数年おきにバブルが起こる。国内外の資金の移動に課税する。大量に生産・消費・廃棄する経済から離脱して軟着陸する工夫を考える。